21 January 2019

村積山眺望

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村積山(むらづみやま)の麓にある駐車場に車を停めて、息を切らしながら山道を登ってゆく。舗装された道から、花崗岩を削った古代のままの山道の頂上を見ると赤い鳥居が迎えてくれた。

地図で見ると村積山を中心に弧を描くように新東名自動車道が走っている。山間部を走る新東名は、村積山の周りを抜けて平野部の豊田市に抜けているのだ。

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拝殿の裏手に石垣が積まれ、小ぶりの檜皮葺きの本殿はプラスチックの波板の屋根に囲まれている。本殿に向かって左手に、石の柵と石灯籠に囲まれた石碑が建てられている。これは「殺生石」といい、人が触れたりするとたちまち病に罹るという恐ろしい石なのだ。祟る石が山頂にあるというのは興味深い。

村積山(海抜262メートル)は、大宝年間(701~703年)持統天皇が三河へ行幸の折、花の咲きみだれる美しい景色から「花園山」と名付けられたと言われ、麓の市指定天然記念物の「しだれざくら」は、その折のお手植えのものと伝えられています。
山頂にある村積神社は、推古天皇(592~628年)の時代、大和朝廷の最有力者「物部守屋(もののべのもりや)」の次男「真福(まさち)」が三河の仁木郷(にききょう)に住み、真福寺(しんぷくじ)を建立し、その守護神として村積山に本殿を建てた神社です。祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)、大巳貴命(おおなむちのみこと)の三神で、鎌倉時代は細川氏の守護神、近世には奥殿藩主(おくとのはんしゅ)大給松平家(おぎゅうまつだいらけ)の祈願所となっていました。
(岩津風土期より)

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本殿から少し下った西側にある展望台から濃尾平野が一望出来た。名古屋駅のツインタワーや、伊吹山、東山スカイタワー、伊勢湾を渡る名港トリトン、大府の工業地帯も見ることが出来る。

最晩年に持統天皇がなぜ三河この地に訪れたのかは全くの謎であるが、持統天皇は村積山に登り、濃尾平野を見渡されて国見をなされたのではないだろうか。

PENTAX K3II + SMC DA 18-135mm

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15 January 2019

浄瑠璃姫菩提所と廃瓦七重塔

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岡崎市には浄瑠璃姫(じょうるりひめ)の遺構が複数残されている。その中の一つに矢作(やはぎ)の誓願寺がある。誓願寺は筆者が卒園した保育園であり、普段はこの境内の中は子供達の笑い声でいっぱいであることだろう。筆者が幼少の頃、本堂左手にある鐘の石段で写した写真が残っており、境内の配置は当時とほとんど変わりがない。

慶念山誓願寺といい、宗派は時宗で「三河名所記によると、昔、この寺の境内に池があって、住僧の慶念が溺死した。そして長徳三(993)年三月、恵心僧都(えしんそうず)がその池を埋めて堂を建て、千体地蔵菩薩(せんたいじぞうぼさつ)を造って安置し、慶念の冥福を祈ったと言われる」(誓願寺看板より)。

旧東海道に面する誓願寺の正面には浄瑠璃姫の供養のために建てられた十王堂が残されており、石碑には「浄瑠璃姫菩提所」と刻まれている。

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十王堂の裏手には浄瑠璃姫の墓が大切に残されている。写真中央が浄瑠璃姫の宝篋印塔(ほうきょういんとう)で左右には侍女更科と乳母冷泉の宝篋印塔であるらしい。写真には写っていないが、左手の方に姫の父親である兼高長者(かねたかちょうじゃ)の五輪塔が残されている。

浄瑠璃姫は、年老いても子どものなかった矢作の長者 兼高夫婦が、日頃から信仰していた鳳来寺(ほうらいじ)の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)にお願いして授かった子といわれ、浄瑠璃姫と名付けられて、たいそう美しく育ちました。承安4年(1174)、牛若丸(源義経)は、奥州平泉の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色に惹かれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、姫に形見として名笛「薄墨」を授け、矢作を去りました。姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、悲しみのあまり、ついに菅生川(すごうがわ)に身を投じて短い人生を終えました。(岡崎市観光協会HPより)

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誓願寺境内の北西の位置に、廃瓦七重塔が建てられている。この塔は仏教考古学者の石田茂作氏が建てたもので、茂作氏が生家をリフォームしたおりに、先祖が雨露を凌いだ屋根瓦を破棄するに偲びなく、思案の末に梅園町春谷寺にある仏塔を参考に建立したものであるそうだ。

グーグルマップでこの塔の存在に驚いて今回訪れてみたが、筆者の幼少の頃、何度もこの前を通って矢作川の河原まで歩いていったはずだが残念ながら全く記憶に残っていない。

PENTAX K3II + SMC DA 18-135mm

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18 December 2018

夕暮れの街

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東急大井町線大岡山駅の東工大キャンパスにある橋の上からは、西の空がよく見える。ビルの合間から富士山が正面にそびえている。

右に大きくカーブしているのは大井町線で、数分おきに列車がすれ違う。高架下にある路線は、目黒線で谷底から丘に向かって坂になっているのがよくわかる。ビル群のある丘の頂上にあるのは奥沢駅だ。

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奥沢駅と大岡山駅をはさむ谷には呑川(のみがわ)が流れている。呑川の北側は暗渠(あんきょ)になっていて、都立大学駅まで緑道が続いている。

目黒線の南側から呑川がそのまま川面をのぞかせている。呑川はその名の通り、洪水の時に、多くの田畑や家屋を呑みこんでいたのだろう。暗渠のない呑川を見るとその大きさに驚く。呑川は二級河川であるのだ。

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橋の上には、学生や地元の住民がすれ違う。緑道を走るランナーもいる。孫を連れたお爺さんが、富士山を指差して幼い孫に解説をしている。陽が落ちるといっそう寒くなってきた。

PENTAX K3II + SMC DA 18-135mm

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