29 May 2019

雨降る二荒山

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奥鬼怒川から林道を抜けて中禅寺湖まで降りてきた。霞煙る湖の前の駐車場に車を停めて、石段の参道を登ってゆく。日光二荒山(ふたらさん)神社中宮祠(ちゅうぐうし)の御祭神は、二荒山大神(ふたらやまのおおかみ)で親子三神をお祀りする。

親子三神とは、父神の大己貴命(おおなむちのみこと)、母神の田心姫命(たごりひめのみこと)、子神の味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)である。

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本殿の右手には、男体山(なんたいさん)の登拝口の門が設えられている。そぼ降る雨に人影は見えない。鬱蒼とした森と権現造りの朱色の社殿は、箱根神社を思い出す。

霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる。そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされる。この祠は現在の別宮となっている本宮神社にあたる。上人は延暦元年(782年)二荒山登頂に成功し、そこに奥宮を建てて二荒修験の基礎を築いた。その後、神仏習合の霊場として栄えることとなったと伝えられる。(Wikipediaより

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御祭神の三神は日光三山にあてられている。男体山は大己貴命、女峰山(にょほうさん)は田心姫命、太郎山は味耜高彦根命で、人格神があてられたのは12世紀の頃だという。二荒山神社は、神奈備(かんなび)を御神体とする古式神社なのである。

PENTAX K3II + SMC DA 18-135mm

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24 April 2019

実平と山伏

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湯河原町の五所神社の境内地で、それぞれの衣装を着た武者たちが名乗りを上げている。地元の小学生や中学生らが恥ずかしげに名乗りを上げた。武者とその女房らがすべて名乗りを上げると、神社の前の道路に並び湯河原駅までの武者パレードが始まった。この武者パレードは、源頼朝公が旗揚げした時を模しており、毎年4月に湯河原町のイベントして行われている。

社伝によれば、今から1300年前天智天皇の御代、加賀の住人二見加賀之助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷(吉浜、鍛冶屋、門川、堀ノ内、宮上、宮下)の総鎮守として、天照大神以下五柱の神霊が鎮座されたと伝えられている。
康平3(1060)年源義家奥羽征討の際、社家荒井刑部実継神霊の加護により軍功をたて、治承4(1180)年8月源頼朝伊豆より挙兵の時、この地方の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の館に導き、石橋山合戦進発の前夜は社前において盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれている。以来、藩主、領主、庶民の崇敬特に厚く、長寿長命の神、湯の産土神として今日の繁栄をみている。(五所神社ホームページより

一説によると加賀之助重行というのは、白山修験の山伏であり、加賀之助というのは白山修験者の般称であることらしい。五所神社のホームページに書かれていた「戦勝祈願の護摩をたいた」という部分が削られている。土肥実平公は修験山伏であり、運命を賭けた戦いにおいて、護摩をたいたというのは山伏にとって大切な一大イベントであったはずである。また実平公自らの館を焼かれて、それを護摩に見立てて「焼亡(じょうもう)の舞」を舞ったというのは、山伏であることを表している。

中村の新庄司宗平の子で荒井(あらい)の刑部家継(ぎょうぶいえつな)という武将が、義家の軍に加わり壮烈な戦死を遂げた。義家はこれを悲しみ鎌倉にいた家継の遺児を成人するまで手元で育て、相模の国、土肥郷に住まわせ、土肥太郎実正と名乗らせた。この実正の次男が次郎実平で土肥姓を名乗り、土肥郷を開拓して地頭になった。これが土肥氏発生の起源であるとしている。(土肥郷の里 湯河原探索より

荒井刑部実継公がずっと気になっていたが、この説によると家綱公が実平公の祖父であるらしい。家綱公と実継公は同一人物であろうか。このあたりの家系は混乱しているようなので、調べていきたいと思っている。

Hasselblad 500CM + Planar C 80mm

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11 April 2019

紺碧の三ヶ根山

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東幡豆(ひがしはず)町から三ヶ根山(さんがねさん)スカイラインを上ってゆく。頂上の駐車場に車を停めて見晴台に立つと三河湾が眺望できた。手前は西浦半島から三河湾を挟んで渥美半島が水平線に広がっている。

三河湾には豊橋港から出航したであろうタンカーが海に浮かんでいる。三ヶ根山は幡豆山塊の最高峰で標高は321m。山頂には回転展望台があったそうだが現在は撤去されたそうだ。

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展望台から少し歩くと窪地に小さなお堂が建てられている。724年、行基(ぎょうき)開山と伝わる太山寺の三ヶ根観音のお堂で、本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)をお祀りする。ここ三ヶ根山を有名にしているのがこの太山寺の境内地に建てられた戦没者の慰霊碑群である。

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世界に派遣された部隊ごとに慰霊碑が建てられている。石垣の上に比島観音がお祀りされている。ご由緒によると「この観音様は、太平洋戦争の際にフィリピン方面で戦没された五十二万同胞の霊を供養するため遺族と戦友の手により建立され、像内にはルソン島サクラサク峠戦闘の戦没者の鉄かぶとを鋳込み、頭の飾りには比島十一の島々を彫り付け、比島観音と名付けました」と書かれてある。

散華された若き兵士たちの御霊は、この国に帰ってきておられるのだろうか。紺碧の空は、現在の海を碧く照らしている。

PENTAX K3II + SMC DA 18-135mm

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