10 March 2019

伊勢神宮遥拝所

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稲熊(いなぐま)の住宅街の中にポツンと残された丘の森の中に稲前(いなくま/いなさき)神社のお社が建てられている。青錆びた銅板の屋根に神明造(しんめいづくり)が印象的だ。御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、天児屋命(あまのこやねのみこと)、應神天皇(おうじんてんのう)をお祀りする。

式内神社で三河国二十六座の内、額田郡二座の一である。創立年代は不詳であるが、国内神名帳に正五位下稲隈天神坐額田郡と記され、平安朝初期以前の創立である。往古岡崎の地は弘く天神山と称えられ、稲前神社の神領並に社地であり、伊勢神領に属していた。大神宮に新稲を奉る国民は先づ神社の神倉に運び置き、のちに伊勢に送ることにより稲前の号がつく。鎌倉時代に至りこの地が武家の庄地となり、對面所の辺(材木町)に移され 、更に岡崎城郭の拡張により元神明へ、その後現在の地に遷座される。(境内石碑より抜粋)

額田郡二座のもう一つは、東阿知波(ひがしあちわ)町にある謁播(あつわ)神社のことである。「古岡崎の地は弘く天神山と称えられ」というのが気になる。その天神山とはどこのことだろう。

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調べてみると「秀吉の命を受けた田中吉政が、天正18年城地拡張の必要から当地天神山を切り開いた時、天神山に稲前天神の神領がありました。その神社の御神旗が祭日に立てられた場所が御旗場と言われ、略して御旗と呼ばれる地名になりました」とある。(岡崎ものがたりより)天神山は岡崎城の北にある材木町のあたりにあったらしい。当社の御祭神、天照大神のことを天神とお呼びしていたのだろうか。

境内ではお正月の準備で氏子たちが立ち忙しく働いている。ゆるやかな階段を地元の住民が訪れて参拝をしている。 境内には、「伊勢神宮遥拝所」と刻まれた石碑が残されている。往古の氏子たちがこの石碑の前から伊勢神宮を拝していたのだろう。

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拝殿の左隣りには、秋葉神社・金刀比羅神社・合殿のお社が建てられている。 秋葉様は秋葉大権現(火之迦具土神=ひのかぐつちのかみ)、金刀比羅様は金毘羅権現(こんぴらごんげん)をお祀りしたものであろう。両尊とも眷属は天狗である。修験の行者が勧請したものであるかも知れない。

PENTAX K3II + SMC DA 18-135mm

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05 March 2019

経津主神と水体薬師如来

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経津主神社から西に向かって車を走らせる。青木川沿いの旧道を通り、瀧山寺(たきさんじ)に到着した。瀧山寺の本堂の屋根は、桧皮(ひわだ)ぶきの寄せ棟造りで裾にのびるカーブが美しい。この本堂は重文で貞応元年(1222年)三河の地頭、足利義氏公が建立したものであるらしい。

薄暗い本堂の中には、本尊の薬師如来(やくしにょらい)をはじめ、十二神将立像(じゅうにしんしょうりつぞう)がお祀りされている。ことに有名なのは宝物殿に安置されている運慶(うんけい)、湛慶(たんけい)作の聖観音(しょうかんのん)、帝釈天(たいしゃくてん)、梵天(ぼんてん)の三仏である。

いずれも極彩色に彩られて艶かしいお姿は、東京上野の運慶展で拝することが出来た。聖観音には源頼朝公の歯と顎ひげを体内に納めているという。

熱田官司藤原範忠(のりただ)の子、寛伝(かんでん)が従兄弟にあたる源頼朝の菩提を弔うために正治三年(1201年)建立した惣持禅院(そうじぜんいん)に安置したもの。仏師は運慶とその長男湛慶で、右側の聖観音は頼朝の等身大で顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めたという。X線透視撮影の結果、頭部内に小さな納入品が針金で吊るされているのが判明している。寛伝は頼朝の推挙を得て下野国(しもつけのくに)日光山満願寺十九世座主となり、後に瀧山寺住職を勤めた。(瀧山寺ホームページより

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瀧山寺は、役行者(えんのぎょうじゃ)が発見した薬師如来に縁起を求めることが出来る。

吉祥陀羅尼山薬樹王院(きちじょうだらにさんやくじゅおういん)と号し、本尊は薬師如来。瀧山寺縁起によれば、朱鳥元年(686年)奈良時代の伝説的な山岳修行者、小角(おづぬ)が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まると言われる。
小角は自ら薬師如来像を彫刻し、その仏身に金色の薬師如来を納め御堂に安置しました。(同ホームページより

山号の「吉祥陀羅尼」を調べてみると「消災妙(しょうさいみょう)吉祥陀羅尼」といい、陀羅尼とは呪文のことでその陀羅尼を唱えると、「悪い星によって天体の運行を脅かされて起こる災難を、お釈迦様から放たれる光の力で消し去る」功徳があるそうだ。

院号の「薬樹王」とは薬師如来のことであろう。役行者が入った滝壺には、大きな龍が金色の仏像を守護しており、その仏像を袈裟に包んで引き上げたところ、果たして金色の薬師如来であったという。

瀧山寺の奥の院には、水体薬師如来が祀られている。この水体とは、水がこんこんと湧き出す泉を薬師如来としてお祀りしている。

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水体薬師如来といえば、瀧山寺から北西の位置にある真福寺(しんぷくじ)も水体薬師如来が本尊である。こちらの水体は、本堂にある井戸をいう。山号院号は「霊鷲山降劒院(りょうじゅせんこうけんいん)真福寺」といい、院号の降るの剣(ふるのつるぎ)は、物部氏が祭祀していた石上神宮(いそのかみじんぐう)の御祭神、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)を連想させる。真福寺を建立したのは物部真福(もののべのまさち)であるのだ。

また、役行者が勧請した経津主神社の経津主神(ふつぬしのかみ)は、石上神宮の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)であり、霊剣布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)であるのだろう。役行者は物部氏のゆかりの深いこの地を深く理解した上で、神仏をお祀りしたのだろう。

瀧山寺も真福寺も同じ天台宗で本堂には護摩壇(ごまだん)が設えられている。両寺とも水体薬師如来を護摩の炎でご供養している。水と火による祭祀が一千年以上も隠されたこの地で行われているのだ。

ロマンで古代史は読み解けない』によると真福寺では、かつて奥宮に剣が収められていたそうである。この神剣と火によって、真福(まさち)はご先祖の御神霊を鎮魂されていたのかも知れない。

布留御魂大神の「布留」は「降る」であり、天磐船天降史跡の「天降(あまふる)」であるのだ。天磐船は饒速日尊(にぎはやひのみこと)のことで、布留御魂大神はニギハヤヒであるのだ。降るの剣とは、十種神宝(とくさのかんだから)にある八握剣(やつかのつるぎ)のことであるのだろう。

真福寺の境内に並列で祀られている八所(はっしょ)神社は、八握剣を連想させる。しかも当社に祀られているのは、ニギハヤヒの別名である大物主命(おおものぬしのみこと)であるのだ。

真福寺の山号院号は、「霊鷲山降劒院」で「霊鷲山」はお釈迦さまが説法した山で仏教を象徴し、「降劒院」はニギハヤヒで物部氏の祖先神である古代神道の象徴である。真福は密かに三河山奥に神仏習合の祭祀を残したのであろう。

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03 March 2019

吉祥山の経津主命

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岡崎市真伝(しんでん)町にある経津主(ふつぬし)神社は、木々に囲まれた小高い丘の上にある。大晦日に訪れた時には、氏子の人たちがお正月の準備で忙しく立ち働いていた。本殿は西向きで元々は古墳であったのかも知れない。御祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)をお祀りする。

社記によると役行者(えんのぎょうじゃ)が吉祥山の嶺に経津主命を勧請(かんじょう)したのが始まりという。ここから車で5分ほどの山の中に瀧山寺(たきさんじ)があり、こちらも役行者が開基で、青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ「吉祥寺」という一堂を建てたのに始まると言われる。

経津主命を勧請した吉祥山とは、瀧山寺のことであろうか。瀧山寺の正式名称は、吉祥陀羅尼山薬樹王院(きっしょうだらにさんやくじゅおういん)と申し上げる。

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社記には、「原社地ハ今尚吉祥山ノ嶺ニ其形跡ヲ存セリ」と書かれている。今もその形跡が吉祥山に残されているのだろうか。

この神社は円空仏が有名で、元々は昭和40年頃に東名高速道路の区画整理で経営グランドの脇から八幡社が見つかり、その中から円空仏二体と阿弥陀如来(あみだにょらい)一体が発見されたそうである。円空仏は、不動明王(ふどうみょうおう)と毘沙門天(びしゃもんてん)で、そのお写真が社務所内に飾られている。その仏像本体は、当社にお祀りされていたが、現在は岡崎市美術博物館に保管されているそうだ。阿弥陀如来は真福寺の住職が彫ったというのが興味深い。

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境内で写真を撮っていると白髭の老人が「あの石鳥居の写真は撮ったか」と話しかけてきた。聞くところによると岡崎市内で一番大きな石鳥居であるという。「昔はこの参道ももっと先にあって石鳥居もずっと先にあったのじゃ」と目を細めて話された。長かった参道も開発で住宅地になってしまっている。

「神社に入るときは、必ず鳥居から入って鳥居から出るものじゃ。最近は作法を知らぬものが多いので困ったものじゃ」と諭された。それからというもの神社にお参りする時は、その教えを守ることにしている。もしかしたらあの老翁は、役行者のお使いだったのかも知れない。

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